@article{oai:ncu.repo.nii.ac.jp:00000170, author = {Mori, Tetsuhiko and 森, 哲彦}, journal = {人間文化研究}, month = {Jun}, note = {カント著書『純粋理性批判』を解読するに際し、カント哲学前批判期をどう取り扱うかについて、二つの問題が見られる。その際、まずカントのどの著作から取り扱うべきか、これが第一の問題である。さてカントは1781年のヘルツ宛の手紙で、批判期の『純粋理性批判』にあっては「(1770年著作)『可感界と可想界』という標題のもとで私たちが一緒に論究した....研究の成果を含む」とする。また1783年のガルヴェ宛の手紙や同年のメンデルスゾーン宛の手紙でも『純粋理性批判』について「少なくとも12年間に渡る反省の所産」であるとする。このことから『純粋理性批判』解明のための有効な方途として、前批判期を狭義には1770年著作『可感界と可想界』をもって始めるとする論者もある。 しかし広義に考えれば『純粋理性批判』で、認識対象でなく方法が重視される点は、早くもカントの1747年処女作『活力測定考』に見られるところである。また神の存在証明の問題も1755年著作『天界自然史論』に伺える。このことから本論では、広義の観点から解明する。この広義の立場を取るものに、例えば、カッシーラー(1918)、シュルツ(1965)、カウルバッハ(1969)、浜田義文(1967)、高橋昭二(1969)の諸研究がある。次に1755年著作『形而上学的認識の第一原理の新解明』は、大半が矛盾律、同一律、決定根拠律という形式論理学を論述するものであり、『純粋理性批判』の内容に直接的に関連しないためか、従来論評されることは少ない。例えば、カッシーラーやカウルバッハは、他のカントの著作に比してこの著作を簡単に取り扱う。これが第二の問題である。 しかしこの著作はカントの最初の形而上学の可能性を論究したものであるゆえ、本論では他の著作を同様に取り上げる。なおヤスパース(1957)は、カント哲学前批判期の諸著作のうち、この著作から論評している。}, pages = {1--18}, title = {カント哲学前批判期の解明}, volume = {7}, year = {2007} }