@article{oai:ncu.repo.nii.ac.jp:00001981, author = {曽我, 幸代}, journal = {人間文化研究, Studies in Humanities and Cultures}, month = {Jan}, note = {本論の目的は保育内容演習(環境)で取り扱う子どもの身近な環境と生態学的な自然とが分離して捉えられていることを顧みて、両者の関係性を改めて見直すことである。将来予測が困難で子どもをとりまく社会が健全であるとは言い難い昨今、子どもが生きる今を読み解きながら、どのような保育環境を整えることが望ましいのかを考えるようにしていくことが求められている。それは理論と実践、すなわち学びと子どもの「生」とのつながりを考えることにつながる。 そこで本論では筆者が担当している「保育内容演習(環境)」(前期)で行った授業実践(アニメーション作品『キートスのりんごの木』の視聴をもとに)を紹介しながら、主体的で対話的に学ぶことを促す学習材および「当たり前」であることを問うことの意義をESD(Education for Sustainable Development: 持続可能な開発のための教育)の視点から考察する。}, pages = {27--45}, title = {問い、ともにいるESD : 保育内容演習(環境)でのアニメーション作品『キートスのりんごの木』を使った授業実践をもとに}, volume = {29}, year = {2018} }