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アイテム
北洋軍閥政権下の天津における映画の発展
https://ncu.repo.nii.ac.jp/records/2000169
https://ncu.repo.nii.ac.jp/records/2000169b6622bc2-804e-4ce1-91cf-d9eebf399e62
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| アイテムタイプ | 紀要論文2 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||||
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| 公開日 | 2023-12-12 | |||||||||||
| タイトル | ||||||||||||
| タイトル | 北洋軍閥政権下の天津における映画の発展 | |||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||
| タイトル | ||||||||||||
| タイトル | ホクヨウ グンバツ セイケンカ ノ テンシン ニ オケル エイガ ノ ハッテン | |||||||||||
| 言語 | ja-Kana | |||||||||||
| タイトル | ||||||||||||
| タイトル | The development of cinema in Tianjin under the Beiyang warlord government | |||||||||||
| 言語 | en | |||||||||||
| 言語 | ||||||||||||
| 言語 | jpn | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 映画産業 | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 新式思想 | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 女性覚醒 | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 政府弾圧 | |||||||||||
| 資源タイプ | ||||||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||||
| 著者 |
李, 偉晨
× 李, 偉晨
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| 抄録 | ||||||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
| 内容記述 | 辛亥革命勃発による清王朝終焉後、袁世凱をはじめとする北洋系軍閥は、中華民国の国号で中国北部を20年近く統治し、北京政府または北洋政府と呼ばれる。この時期の中国社会は、西洋的な新式娯楽の受け入れが進んだ。大衆的娯楽産業の出現と発展は都市の近代化及び繁栄の象徴であったと考えられる。特に19世紀半ばに開港された天津での娯楽活動は盛んだった。20世紀初頭、天津は中国北部における新式娯楽産業の中心地となり、中国南部の上海と併称される中国有数のモダンな大都市であった。天津は、各国租界の成立と居留民の到来に伴い、映画や社交ダンスなどの西洋的な新式娯楽生活も持ち込まれた。また天津には、多数の失脚した軍閥政客や旧清王朝官僚(遺老)及びその家族たちがいたが、彼らは高級娯楽施設の中心的消費者であり、新式娯楽産業が天津に定着するのにも貢献した。1920年代になると、天津は映画だけでなく、社交ダンス、競馬など各種の娯楽活動が併存し、共に発展していた。上海と違い、天津は軍閥勢力が支配的位置を占め、また旧勢力代表である溥儀をはじめとする清王朝遺老たちの力も強かった。つまり天津は、保守主義勢力の役割が非常に大きかった。また、天津は中国最多である9か国の租界を有したため、上海、北京と違い、より多元的な国際的な文化と、より複雑な新旧思想が混交していた。よって、先行研究は天津の娯楽業に対して一定の研究成果をあげているとはいえ、娯楽産業の発展と政治や北洋政府の統治との繋がりについて、研究の必要性そして研究の余地は多分にある。本論は、1920年代中後期の天津における映画産業について、それが都市市民及び政府の統治にどのような影響を与えたかを考察したものである。中華民国初期、海外からの輸入映画が映画市場の75%を占めており、大都市、特に上海や天津では映画市場を独占していた。輸入映画の中でも、アメリカのハリウッド映画は圧倒的な数量を誇っていた。アメリカ映画が上映される映画館に出入りすること自体がモダンな行為であり、人々は映像の中の生活スタイルを模倣した。また天津の芸術家の作品には、アメリカ映画風の風景や人物が書き込まれるようになった。近年、中国のモダン都市上海と天津における映画をはじめ娯楽業に関して、多様な考察が進められている。本論は、新聞と回想録を参考文献とし、1920年代に天津で上映されたアメリカ映画が、当時の天津市民の食生活や服装などの生活方式にどのような影響を与え、また天津の社会改革の新思潮、特に女性解放をどのように促進したかについて考察して、さらに、こうした思想的な覚醒が、北洋軍閥政府の天津都市統治に対し、どのような影響を与えたかについて検討した。 | |||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||
| 書誌情報 |
ja : 人間文化研究 en : Studies in Humanities and Cultures 巻 40, p. 113-134, 発行日 2023-07-31 |
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| ISSN | ||||||||||||
| 収録物識別子タイプ | PISSN | |||||||||||
| 収録物識別子 | 13480308 | |||||||||||
| 書誌レコードID | ||||||||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||||
| 収録物識別子 | AA11807171 | |||||||||||