@article{oai:ncu.repo.nii.ac.jp:00002325, author = {柴田, 憲良}, journal = {人間文化研究, Studies in Humanities and Cultures}, month = {Jan}, note = {末法思想は、仏法が時間の経過にしたがい一方向的に衰えていくとする衰退史観だと考えられてきた。しかし、近年の研究によれば、末法思想は、潜在的には仏法興隆を前提とした積極的な意義を持つ思想だと見直されている。最澄は、自身の生きた時代を像末の世に位置付ける一方で、むしろ末法の世がすでに到来しているとの認識も持っていた。では、最澄が末法思想を説くとき、そこにはどのような意味が込められていたのか。末法の世の到来を回避する存在として比叡山では菩薩僧が養成された。では菩薩僧とはどのような存在で、なにを期待されて構想されたのか。小論では、北周末隋初に活躍した菩薩僧との比較研究を通して、この課題に取り組みたい。}, pages = {23--38}, title = {最澄の像末観に関する一考察:「菩薩僧」に見られる思想をめぐって}, volume = {31}, year = {2019} }