@article{oai:ncu.repo.nii.ac.jp:00003018, author = {Yamada, Atsushi and やまだ, あつし}, journal = {人間文化研究}, month = {Jul}, note = {日本統治期台湾の日本人移民は、1910 年代に行われた台湾東部の花蓮の移民村が有名であるが、統治初期(1890 年代後半)にも、同時期の北海道での移民事業に酷似した事業が計画されていた。「殖民地撰定」と北海道でも台湾でも呼ばれたこの事業は、北海道では 1890年に今の樺戸郡新十津川町を皮切りとして実際に移民が入植を開始し、1897 年に始まった「北海道国有未開地処分法」による資本家への大土地貸付とともに、北海道へ多数の移民を招来することになる。 台湾での「殖民地撰定」事業は計画と調査だけに終わり、実際に移民が入植することは無かった。成果としては田代安定編『台東殖民地予察報文』などの若干の殖産事業の参考となる資料を生んだに過ぎなかった。しかしながら、台湾総督府公文類纂に残る計画書類や調査報告からは、統治初期にどのようにして台湾へ日本を移民させようとしたのかを見出すことができる。 本論は、台湾総督府公文類纂を利用し、台湾での「殖民地撰定」事業の概要と北海道の計画との違いを明らかにし、そして「殖民地撰定」事業の問題点(計画倒れに終わった理由)を、同時期に試験的に行われた熊本の津田静一の台湾南部(現:高雄市旗山区)における移民事業を参照しながら考察する。}, pages = {85--115}, title = {統治初期台湾の日本人移民計画 : 「殖民地撰定」事業を中心に}, volume = {36}, year = {2021} }