@article{oai:ncu.repo.nii.ac.jp:00000353, author = {吉田, 幸恵}, journal = {人間文化研究}, month = {Jun}, note = {本稿では、明治期の児童救済政策と民間の児童救済事業を分析し、それらが現在の社会的養護体制や子ども観とどのように関連しているのかについて考察したものである。その結果、以下の三点を指摘した。第一に、明治期の育児事業において、児童救済の国家責任が回避される一方で、国家介入により公共性が強調され慈善的性格の維持が図られるという矛盾を抱え続けた点については、現在の児童養護施設をはじめとした民間社会福祉事業の問題と類似しているといえる。第二に、明治期の児童救済政策は、感化事業や保育事業においては公立施設が登場し、感化事業では「感化法」が制定されたが、育児事業は一貫して公的救済が否定された。このことは、現在の社会的養護が主要な政策や産業能率の向上の観点から有用とみなされないため、制度・政策が進展しないことと同型である。第三に、明治期には「民法」をはじめとする家族政策において、児童と親(特に母親との)人格的未分化性は温存され、伝統的「親子一体」観が制度的に強化されたが、この「児童と親の人格的未分化性」は、現代においても児童虐待が頻発しその中には親子心中も相当数含まれることなどから、その残滓が存在する可能性がある。}, pages = {53--69}, title = {社会的養護の前史 : 明治期における児童救済事業の展開}, volume = {17}, year = {2012} }